7月22日(日) 移動日(現地 曇りのち快晴)
本日はアメリカへの長い長い移動日.朝11時に三鷹駅より中央線に乗る.吉祥寺駅前では参院選を前に, 成蹊大学出身の阿部晋三首相が駅前広場で街頭演説をしていて黒山の人だかりができていた. 成田空港午後4時発のノースウェスト28便で サンフランシスコに向けて出発.飛行機はアリューシャン列島の南に沿って飛行し, 北からサンフランシスコ上空に進入した.サンフランシスコはなるほど霧の町と言われるだけあって, 異常に低い雲に覆われていたが,ゴールデンゲートブリッジとベイブリッジ, サンフランシスコのダウンタウンは幸運なことに雲の切れ目からくっきりと見えた. ゴールデンゲートブリッジは橋脚が2本しかないために上空からも簡単に区別することができる. サンフランシスコ上空を通過した飛行機はそのまま南下し,大きくαにターンしてサンフランシスコ国際空港にご当地時間で朝10時くらいに着陸した. 飛行時間は約9時間.日本時間に8時間足すとこちらの時間になる. 入国審査は,例によって両手の指紋や顔写真の記録などでたっぷりと時間がかかった. そのままダウンタウンのホテルに移動するために地下鉄BARTの駅に空港内を歩いていった. 駅では別便でやってきた渡邊君,仲村君, 井根さんご夫婦と運良く遭遇し, 皆仲良くハイアットリージェンシーホテルに チェックインすることができた. そのままチャイナタウンまで散歩に出てそこで昼飯を食べ, ホテルで解散.時々時差ぼけのため,強烈な眠気に襲われるが夕方までなんとか持った.先ほどから学会のウェルカムパーティで生バンドがうるさいが,これから明日の発表の準備をするつもりである.
 
7月23日(月) 長い一日 (曇りのち快晴)
少し寝ては起きてという時差ぼけの夜が過ぎ,朝7時前にはベッドから起きあがった.窓から見えるベイブリッジを一枚写真に撮る.今朝も霧がかかっている.午前も遅い時間になるときっと昨日の午後のように抜けるような青空となるのであろう.ふと見ると町を歩いている人がコートを着ていて日本では晩秋に近い格好をしている.いやはやサンフランシスコの夏がどれほど涼しいかその後の滞在で思い知らされるのだった..とりあえずホテルの前のセブンイレブンに朝食を買いに出る.部屋に戻り窓から外を見ると実にいろいろな乗り物が走っていることに気がつく.観光名物のケーブルカーの他,路面電車,トローリーバス,2両連結したバスなど面白い乗り物のオンバレードだ.これに船や飛行機もどこそこに見える.乗り物好きには世界一おすすめの町かも知れない.ついでに海も山もあって海の幸が豊富で,ダウンタウンは歩いて回れる大きさなので日本人にはなじみ易い.

 午前中に渡邊君の発表を聞いた後,午後には自分の発表を済ませる.発表にはいろいろ意見が出された.辛口の意見もかなりあったが,一番乗りをこよなく重視するアメリカで反発を食らうほどインパクトのある発表だったのだと信じることにする(反応がないのが最悪の反応だ).来年はさらに会場をかき回す結果を持ってきたい.

発表が終わった後,最終日に一泊だけ予約したホテルをチェックしに行く.宿泊ホテルであり,学会の会場でもあるハイアットは学会参加者のために向けにディスカウントをしているがそれでも自分の予算をはるかに超えているので安い宿を予約したのだ.ただ,重たい旅行鞄を持って迷うのはいやなので場所や雰囲気を確認しておきたかった.そのホテルは地下鉄(BART)で3つ離れたUNION地区という観光・ショッピングの中心地のひとつにある.一本道で距離にして2キロほどだし,通行人も多いので安全には問題ないと考え,歩いていくことにした.歩き始めてすぐに気が付いたことは,宿の周辺を歩いている人たちがほとんど白人で黒人,ヒスパニック系,アジア人がいない.男も女もスーツ姿が多い.なにやら場違いなところにいる雰囲気を感じながら歩き続ける.頼りのGARMIN製ハンディGPSは回りを高いビルに囲まれ電波をとらえることができない.少しため息が出る.今思えば,この後すぐそばで起きる事件のことなど知るよしもなく,ハッピーすぎる自分の姿がそこにあった..
ほどなくものすごく賑やかな一角に出る.街を歩く人種もさっきまでの白人しかいない状況から一変して多種多様だ.きれいなお店やレストランなども多くビジネス街を抜けショッピング・娯楽街に来たことがわかる.この辺りかな,と思うが目標である地下鉄の駅「Powell Street」の入り口を見落としそのまま歩き続けた.しばらくいくと高いビルが回りに少なくなり,歩いている人の雰囲気も変わって(微妙な表現だ),観光客が立ち入る地区を過ぎたことが分かる.
この頃,ようやくビルがなくなったためにハンディGPSが航法衛星を捕捉し目標を通り過ぎたことが分かった.踵を返し,来た道をさきほどの賑やかなところまで引き返す.今度はハンディGPSのガイドがあり目標のホテルに到着することができた.
ホテルは歌舞伎町のような繁華街のど真ん中にあった.見ればはす向かいは日航ホテルなので治安は問題なさそうだ.しかし,さすがにこの立地で1泊100ドル以下の宿だけあって,入り口付近は値段相応の雰囲気だ.学生のころなら躊躇なく泊まったが,それなりの責任のある社会人となった今では迷ってしまう.まあ,帰る道々どうするか考えようと歩きはじめたその時,すぐそばで爆竹のような音がパンパンと2,3発連発し,一呼吸おいて再び2,3発という感じで計6,7発した.爆竹にしては音が大きすぎる(もし爆竹ならその大きさは人差し指くらいはあるだろう)が,車のバックファイアにしては間隔が短すぎる.こっこれは...
 いやな予感は的中した.音がした方を見ると路肩に停めた車の後ろで人がぱったり倒れている.知り合いとおぼしき黒人の青年が道路の真ん中で飛び跳ねながら「Oh, My Godddddd! 」と何度も何度も大音声で叫ぶ.怒りと悲しみの爆発だ.まったく手当するそぶりを見せないところを見ると完全に友人はとどめを刺されたらしい.回りの人たちも呆然としている.信号が変わってもどの車も動こうとしない.青年は空に向かってほえ続けている.お母さんが子供の手を引き足早に遠ざかりながら,子供に向かって「There was a gunshot.」と囁いている.とにかくやばい.2回戦が始まったら巻き添えをくらってもおかしくない状況だ.急いで立ち去り始めると,パトカーが映画でおなじみのあの音を出しながらすっ飛んでくる.早い! 一台到着するとさらにあちらこちらの坂から転がり落ちるようにパトカーが集まってきた.十分に離れたところで振り向きざまカメラを現場方向に向けワンショット.あわてふためいて撮ったために手ぶれ補正レンズであったにも拘わらず思い切りぶれてしまった.自分は報道カメラマンにはなれそうもない.
 とにかく萎えた..宿に帰って延泊の手続きをする.この国は安全をお金で買うのだ.「You are all set!」という受付の声を力無く聞く.続けてパソコンをネットに接続し安い宿の予約をキャンセルする.ホテル内の景色が午前中とは違って見えるのは気のせいか....晩飯は皆で近所のタイ料理店で安く済ませた.野菜が多くて自分には許せる味だったが,日本食が恋しいという話も出る.しかしそんなことはどうでもいい.ひとつ間違えば事件に巻き込まれたかも知れないのだ.アメリカではなぜべらぼうに高いホテルで学会を行うのか今日は身にしみて理解できた.
7月24日(火) 停電 (曇り)
 ドアが開いて掃除のおばさんが部屋に入ってきた.時計を見たらもう10時前である.時差ぼけですっかり寝過ごしたのだ.あわてて着替えて地下の学会会場に向かう.このような時には会場に宿泊しているありがたみを感じる.しばらく講演を聴いた後,昼食をすぐそばのフェリービルディングに食べに行く.ここから近隣の町に向けてフェリーが多数でているようだ.ビルの中はマーケットになっていていろいろなカフェテリアがある.その中からメキシコ料理屋を選ぶ.メニューが全くわからない.メニューの一番上のものを頼んだら,とても小さいタコスが出てきた.ものすごい混み方で座る席がない.しょうがなく,立ったまま食べたのである.円安のせいで多少高く感じられたこともあり満足度60点である.
 午後の特別講演もいよいよ終わりの時にホテルが全館停電した.マイクも,スライドプロジェクターもつかない.日本だと,「責任者を出せ!」とか大騒ぎになりそうだが,皆落ち着いたものだ.灯りはすぐについたが,難しい話にも飽きたので,ホテルの外に散歩に出た.気温が17度くらいだろうか,肌寒い.昨日のこともありユニオンの方に向かう気にはなれない.そこでかなり急な坂をあてもなく登ることにした.中華街を抜け,このあたりでは一番高いところまで登ると,眼下の2方向 に海が広がり良い眺めだ.冷たい風が心地よい.やっぱりサンフランシスコはいいところだ.それにしても,日本人だったら絶対にジグザグの道を造るであろうこの急坂の町に,碁盤の目のように規則正しく並んだ道路を強引に作る感覚はちょっとすごい.おまけにケーブルカーまで設置してしまうのだ.ふと見るとケーブルカー博物館なるものがある.入り口に無料と書いてあるので中に入ってみると,実際に稼働中のケーブル運転装置を公開している場所であった.ケーブルに強いテンションを加える工夫,慣性でカーブを曲がり違うケーブルをつかみ直すというケーブルカーの進路変更の工夫などトリビアな解説に満ちていて楽しかった.しかし現役の施設のはずなのにケーブルが動いていない.不思議に思いながら,ホテルへと坂を下っていくとあちらこちらでケーブルカーが立ち往生して運転手と車掌が所在なげにそばに立ちつくしている.どうやら停電をきっかけに市中のケーブルカーが全面的に止まってしまったらしい.博物館のケーブルが動いていなかった理由が分かった.ホテルにたどり着き,そのまま会場に滞在して夕方には井根さんの講演を聴く.
 夕食はチャイナタウンで摂った.たまたま入ったレストランが当たりで,みんなよく食べた.笑いが止まらない..たらふく食べて表に出てみると日は暮れかかり寒い.13度くらいか.歩いている人はコートなど着ている.町には夜の帳と霧のカーテンが同時に降りてきた
7月25日(水) 晩餐会 (曇りのち晴れ)
 4日間に渡って開かれている学会も3日目となる今日の午後からはいよいよフィナーレに向けて動き始めたように感じられる.日本から来た皆さんも今日は町へ繰り出しているようであまり見かけない.こちらは今日も午後の最後のセッションに仲村君が発表するのでおとなしく会場で講演を聴き続ける.おまけに司会を急遽することになった.仲村君は課題山積みの発表であったがそれを本人が感じて次回に大きな改善が見られれば良しとする.
 夜には晩餐会があった.開会前のカクテルパーティーからして立つ場所もない混み方だ.晩餐会もバンクエットルームだけでは入りきれず,
分散しての開催だ.30の会議室を朝から晩まで使って4日間行われるアメリカの計算力学学会は講演数が優に1000件を超えている.数あるサンフランシスコのホテルの中でも最も高級なホテルの一つを使って参加費700ドルをとってこの賑わいである.製造業が斜陽のアメリカにあって誰がこれだけの研究者を養っているのか,思いはそこに行ってしまうのだった.ともかくもアメリカでは「研究」という一大「産業」があるのだ.
7月26日(木) 遠足 (曇りのち晴れ)
 きょうは皆でヨセミテまでドライブすることにした.前日に急に決めて夜にネットでホテル内のBudgetレンタカーのフルサイズカーを予約した.カウンターで「予約が昨日の夜だったので希望の車種は今日はない」とか言われ,少しごたごたがあったものの大きめの車をコンパクトカー価格58ドルで借りた.ガソリンオプション(空で返す)60ドル,保険がフルで20ドル程度,あと税金などで計147ドル(今考えるとガソリンオプションは余計だった).9時前に出発して,途中で渡邊君に運転を代わってもらい2時半にヨセミテに到着.初めてのアメリカ運転だった渡邊君は疲労困憊(ご苦労さま).仲村君もナビとして地図やハンディGPSとにらめっこで景色を見る余裕はなし.こちらもご苦労様.途中の道は乾期のせいか牧草が枯れて,木も元気がなかった.ヨセミテバレーは夏の観光シーズンの真っ最中でものすごく混雑している.そして,天空にそびえる断崖から降っているはずの滝も枯れて見えない正直,以前3月に来たときの方が神秘的だった.ただ,1週間くらい滞在して山歩きするのは今が一番だろう.皆で軽く昼食を摂った後,帰りも長旅となるため早くも戻り始めるいつかはここに長期滞在してテント暮らしをしながら周辺の山歩きをしたい.
 帰りはヨセミテ国立公園を出るところまでは渡邊君のドライブで途中から井根さんに交代する.アメリカでの運転が久しぶりな僕も含め,皆,右側のラインを踏んで走ってしまう.どうもセンターラインととの間隔が右ハンドル車と違うためらしい.右折,左折も意識しないと対向車線に入ってしまいそうになるのはご愛敬である.帰りのハイウェイはスムーズで70マイルオーバーで流れている.予定よりもかなり早く(それでも9時は回っている)ホテルに帰ることができたため,そのまま市内を一周することにする.フィッシャーマンズウォーフ,ゴールデンゲートブリッジなどを忙しく見て回る.気温は12度くらいか,しゃれにならない寒さである.サンフランシスコの気候は,さしずめ日本の3000m級の夏山の気候と似ているとでも表現しようか.昼はそこそこでも夜はとても夏着ではすごせない.フィッシャーマンズウォーフは魚料理のお店がずらりと並んでいる.井根さんご夫婦はフィッシャーマンズウォーフがかなり気に入ったらしく,今度来たら,ここのそばに宿を取るとのこと.ゴールデンゲートブリッジはライトアップしていないし,霧が深くてただ記念に上を通ってUターンして帰っただけとなったがしっかり5ドル取られた.翌日の朝7時半に車を返すことになっているため,ホテルの近所のオープンストラクチャに車を駐車する.ホテルの駐車場だと一晩50ドルオーバーだがそこは30ドル.どちらも高いがそれでも20ドルも安い.無事に車を停めた後解散.今日は "Experience USA!" Day でした.皆さんお疲れ様.
 
7月27日(金) 移動日 (曇りのち晴れ)
 朝7時半に車をレンタカー会社に返し,10時にホテルのロビーで皆と待ち合わせて,空港に向けて出発.11時ころサンフランシスコ国際空港に着く.地下鉄バートを出たところが国際線の出発カウンターである。ここで日本に帰る皆とはお別れし,一人国内線の乗り場に向かう.日本とどうもチェックイン手続きが違いとまどう.E-Ticketというのが普及しているらしくクレジットカードのようなものを機械に読ませてはい終わりというのが一般的な登場手続きらしい.僕のように日本で航空券を手配したものだけボーディングパスをくれるのだが,よっぽどそのようなケースが少ないのか”You are all set"とか言っているのに肝心のボーディングパスを渡し忘れている.こちらから問い返して「あっそうか」という有様だ.そこからが大変だった.所持品検査のところで航空券とIDを見せた後,金属探知の行列に並ぶ。この検査は日本でもお馴染みだが皆,靴も脱がされている.僕はアメリカ住民ではなかったので別なところへ案内され、さらに厳しい特別チェックを受ける.まずレントゲン室のような中に入れられて1分ほどかけて全身スキャンを撮られる.続いて手荷物を開け,一つずつ荷物を検査.なにやらリトマス紙のような紙をカメラやPCにこすりつけて機械にかけている.靴にも紙をこすりつけている.爆発物の検知らしい.たっぷり15分ほどかけて調べられ,最後に「Thank you BOSS!」と一言.やれやれやっと搭乗ゲートに向かえる.余裕を持って空港に来たつもりがほとんどぎりぎりとなり,ゲートにたどり着くとすぐに搭乗が始まる.皆,例のカードをスキャナーに読ませて乗り込む.搭乗券をもぐ方法はもうここでは時代遅れだ.
飛行機はon timeに出発.機内は満席で見渡したところアジア系はほとんどいない.英語は大声の言語だ.皆が大声でおしゃべりするのでそれはそれはうるさい.僕の横は2歳ぐらいの男の子を連れたお母さんだ.子供に本を読んで聞かせるのだが,ごれがまたでかい声だ.これから1ヶ月,この人たちをまねて腹の底から声を出さないといけないんだな,と思う.4時間のフライトの後,デトロイト空港に予定どおり着いた.
 デトロイト空港の国内便のりばは、1直線で一キロほどの長さがありあきれるほどでかい。なんとまあ,天井付近を列車が走っている。長い長い距離を歩いてバッゲージを取りタクシーに乗る.アメリカのタクシーというとボロボロで客室と乗員の間に格子が入っていて運転手も乱暴な態度という映画のイメージがあるが、ここの"Airport Tax"はすごく新しくきちんと掃除された車で行き先ごとのおよその値段が明示されている。運転手もきちんとした服装であいそがいい。どこから来たのか、何をしにきたのか、一生懸命話しかける。ミシガン大学で研究するというと専門は何か、とかチップがかかっているせいか涙ぐましい。今や日本のタクシーの方が無愛想で不親切だ。トルネード警報がでそうなどんよりとした曇り空から猛列な雨が降り始めた。歓迎のサンダーストームだと運転手がしゃれたことを言う。Thanks! But too much! 30分ほど高速道路をぶっとばし、ノースキャンパスのそばのMicrotelというホテルに到着。星ひとつの安宿だが文句の少ない自分には雨露がしのげれば十分だ。チェックインすると、サンフランシスコと3時間の時差がありもう10時だ。荷物をおいて隣のスーパーでサンドイッチを買って晩飯とする。いろいろあった一日だったので、早めに床に着いた。
7月28日(土) レンタカー (晴れ)
 きもちのよい日本晴れ,もといミシガン晴れで目を覚ます.しばらく書き物とかしたのち,すぐそばのAvis レンタカーに車を借りに行く.うちの大学ではレンタカーを認めてくれないが(ちなみにこんな話は他の大学ではない)ミシガンでは車がなければ死に体だ.ほとんどまったく何もできない.いちいちタクシーを呼ぼうにも流しのタクシーなどなくて,事前に手配しないといけない.ここはアメリカの生活習慣に沿って滞在中は車を借りることにする.レンタカーのオフィスに行くとお兄ちゃんが店番をしている.予約のプリントアウトを提示してわりとスムーズに借りる手続きは終了するが,もらった紙を見ると値段がウェブで提示された価格よりも200ドルも高い.質問すると困った顔をしてコンピュータが出した値段なのでわからない,月曜日に所長である自分のママがオフィスに来るから聞いてくれという.困った坊やだ.というかAvisはサンフランシスコで車を借りたBudgetに比べるとえらくいい加減な会社に思える.高校生が店番をしているし,契約の書類にも重要な情報,いつからいつまで借りてどこまで返すかとか担当者しかわからない省略形で小さく書いてあるだけだ.値段もウェブの値段と違うし,その説明もできない.トラブルが起きたときに面倒になりそうだな,といやな予感がする.もうひとつ心配ごとがある.高いので車両保険(LDW)に入らなかったのだ.人身事故に対する補償(ALI)は日本で海外旅行保険のオプションとして加入してきたのだが..自腹でレンタカーを借りないといけないのでこんなギャンブルをしないといけない.実は日本でも車両保険には加入していないのだが,日本では自分が安全運転していれば良いし,それには自信がある.しかし,ここでは相手が100%悪くて車をつぶしても自分がレンタカー会社にまずは損金を払わなければいけないのだ.それから事故相手との交渉に入るのだろうが,そのころには帰国でたぶん泣き寝入りだ.うーん.こんなトラブルには巻き込まれたくないが..2,3日このギャンブルの成否について考えてみることにしよう.

まあ、値段の件は月曜日ということでとりあえず車をもらい、慣らしをかねてドライブする。クライスラーの小型車だが,エンジンのレスポンスが悪く,かなりのアンダーステアである.オートマも3段しかなく,たぶんロックアップもないだろう.サンフランシスコでのアメリカ人達の計算力学の高度な研究発表と,この製品の落差はどう解釈すれば良いのだろうか.やはり車を作るのは学者ではなく現場なんだよな,と思い知らされる.南のはじまで運転するとそこにブライアウッドというモールがある。ここを軽く散歩すると娘が好きなAbercrombie & Fitchというブランドの店があった。洗いざらし風のすてきなポロシャツがあったので自分のために一枚買ってしまった。それから、やはり町の南にあるアジア系の食材店に行ってみる。10年前と変わらず営業しており、日本人に必要な食材はおよそ全てある.ここで割り箸とカップヌードルを調達する。それから町の北にもどりスーパーで歯磨きなど長期滞在に必要なものを調達する.メロンが3個5ドルとか,大きなスイカが3ドルとか,太ももほどもあるボンレスハムが17ドルとか食材が安いが宿に冷蔵庫がないので手が出せない.ビールもものすごく安いがアメリカ滞在中は禁酒と決めている.
 ひととおり買い物をしてホテルに戻るともう3時だった.それからは部屋で書き物をして外にはでなかった.9時半頃,やっと日が暮れた.